奈良県出身のプロボクサーでロンドンオリンピックでは金メダルを獲得したことでも有名な村田諒太さん。
この記事では村田諒太さんの経歴やご家族、プロでの戦績や年収などを徹底調査していきます。
5月20日に行われたWBA世界ミドル級王座決定戦では、終始圧倒したかに見えた試合内容だったにも関わらず、まさかの判定負けで話題になっていますが、そちらに関してはこちらの記事でどうぞ。
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目次
村田諒太の経歴・プロフィール
俺的に亀田興毅に勝ったら1000万より。5.20にやる村田諒太のミドル級のタイトルマッチもっと取り上げるべきだと思いますが。。竹原慎二以来のミドル級王者誕生なるか。日本人初のメダリスト王者誕生なるか。俺亀田興毅好きだけど。もっとこの世界戦注目してほしいなあ。。 pic.twitter.com/Y2SBEhK9Ws
— D.H (@partypeople_dh) 2017年5月8日
- 名前:村田諒太(むらたりょうた)
- 生年月日:1986年1月12日(31歳)
- 出身地:奈良県奈良市
- 活動:プロボクサー
- 所属:帝拳ボクシングジム
- 階級:ミドル級
村田諒太さんは5歳から水泳を習い始め、中学時代は陸上部に所属するなど、幼いころからスポーツに親しんできました。しかしどれも長続きしなかったようで、思春期になると徐々に素行も悪くなり、ケンカに明け暮れることもあったそうです。
村田諒太とボクシングの出会い
荒れていた村田さんが、ある日金髪で学校に登校したところ、担任教師に呼び出されることになりました。視聴覚室で先生と二人っきり、重苦しい空気が流れる中、先生は意外な一言を口にします。
「おまえ、なんかやりたいことはないんか」
そう聞かれた、村田諒太さんは驚いたものの、ふと思い立った言葉を先生に返していました。その言葉とは、
「ボクシングやったら、やるわ」
というものだったそうです。先生の問いかけがきっかけとなり、心のどこかにあったボクシングへの思いを口にした村田諒太さんは、自らボクシングの道へと進み始めました。
ボクシングを始めると才能を発揮!
先生との会話があったあとは、すぐに地元の高校のボクシング部が主催するボクシング教室に通い始めたという村田諒太さん。これにも担任の先生の配慮があったそうです。
しかしボクシングは厳しいスポーツで、金メダリストまで上り詰めた村田さんでも、初めたばかりのころは練習が辛く、2週間ほどで練習に来なくなったというのです。
しかし再びボクシング教室に通い、徐々に才能を発揮し始めた村田さんは、中学3年になると大阪の進光ボクシングジムに入門し本格的なトレーニングを始めるまでに成長しました。
高校入学後は一気に全国区の選手へと成長し、2年生の時には選抜・総体・国体の高校3冠という偉業を達成。3年時にも選抜と総体を制し、高校時代は5回のタイトルを獲得しました。
また東洋大学に進学後もボクシング部で活躍し、2004年には全日本選手権初優勝。2005年にはキングスカップに出場し銅メダルを獲得し、同年にはアジア選手権で銅メダル。
さらに同年、世界ボクシング選手権大会に出場するも1回戦敗退という結果に終わりましたが、確実にステップアップし、村田諒太さんはアマチュアボクシング界では知らない者はいないような有力選手になったのです。
村田諒太は一度ボクシングを引退していた
村田諒太さんは、2006年以降、ドーハアジア大会や世界選手権に出場するも敗退。2007年には全日本選手権では2度目の優勝を果たしましたが、翌年のオリンピック・アジア予選で敗退し、北京オリンピックの出場権を獲得できなかったことで一度現役から退いているのです。
2008年に一度ボクシングから引退すると同年に大学を卒業され、そのまま東洋大学に就職、大学職員として働くとともに、東洋大学ボクシング部コーチとしての活動をスタートさせました。
しかし事件が起こります。そしてその事件を乗り越えて、村田諒太さんは現役復帰を決断したのです。
東洋大学ボクシング部が活動自粛
2009年2月、東洋大学ボクシング部の元部員が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されたことがきっかけとなり、東洋大学ボクシング部や活動自粛を余儀なくされ、関東大学リーグでも1部から3部へ降格処分が下されることに。
村田諒太さんは、コーチとして指導していた元部員の事件を防げなかったことに自責の念を感じたと同時に、自分自身が再びボクシング選手としてカムバックし、全日本選手権で優勝することができれば、東洋大学ボクシング部の復権につながるのでないかと考えました。
そして現役復帰を果たすと厳しいトレーニングを重ね、2009年から2011年の3年間にわたり、全日本選手権で3連覇を果たします。
さらに2011年7月、インドネシア大統領杯で初の国際大会の優勝を勝ち取るとともに、同年10月には世界選手権に出場し銀メダルを獲得したことでロンドンオリンピック出場権を獲得するに至ったのです。
ロンドンオリンピックミドル級で金メダルを獲得!
村田諒太さんのロンドンオリンピックでの活躍は皆さまがご存知の通りです。
日本人選手によるボクシング競技での金メダル獲得は、1964年東京オリンピックでの、バンタム級・桜井孝雄さん以来48年ぶりの快挙でした。
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村田諒太の家族について
自分だけでしょうか。
音の旅crewのGUROが村田諒太に似てる…(笑) pic.twitter.com/vLxcwzmtF2
— Paparick star (@Beck072072) 2017年4月26日
村田諒太の嫁は京大出身?
村田諒太さんは2010年5月、東洋大学に勤務する女性と結婚します。お名前は佳子さんというそうです。村田諒太さんの4歳年上で京大出身というような話もありますが詳細は不明です。
ただ村田諒太さんの奥様は京都出身であることは確かだそうで、村田諒太さんが金メダルを取ってからは、テレビでも報道され、嫁の佳子さんが大喜びしているところもテレビで放送されていたのが印象的です。
しかし当時、奥様のテレビ出演が多く、そのテンションがかなり高かったことから、痛い、ウザイと言われてしまい、村田諒太さんも奥様に注意されたようで、以降はテレビ主演が減ったという話もありました。
村田諒太に子供は2人
村田諒太さんには長男・長女の2人のおこさんがいらっしゃいます。
ロンドンオリンピックの試合前には、携帯電話で日本にいる長男の映像を見て気持ちを落ち着かせたそうです。
村田諒太のプロでの戦績と年収は?
【村田諒太インタビュー】Vol.5「ミドル級と海外」「大事なのは海外から学んでも、それを日本人らしく、日本人ふうにカスタムすべきということじゃないですか」https://t.co/q6KPFSMfsT pic.twitter.com/vJChS4gbQD
— 村田諒太公認サイトI’m Ready (@murataboxing) 2017年4月25日
プロボクサーの1試合のファイトマネーは、
- 4回戦:5万円以上
- 6回戦:10万円以上
- 8回戦:15万円以上
- 日本タイトル:50万~数100万円
- 世界タイトル:3,000万~数億円
といったあたりが目安とされています。
また日本タイトルより上のクラスのものになると、ボクサーの人気や放映権の関係などで大きくばらつきがあるようですね。
しかし村田諒太さんのプロデビュー戦のファイトマネーは1000万円だったといわれています。やはりオリンピックの金メダリストということで人気・知名度もあり、プロ転向後初の試合ということで注目度も高かったことから、高いファイトマネーが用意されていたということです。
村田諒太さんはプロに転向した2013年から12戦無敗・9KOという素晴らしい結果を残していました。しかし今回の世界タイトル戦で初めての黒星を喫することとなりましたが・・・判定には八百長との声も出ており、今後どのように問題が推移していくのかが気になるところです。
↓詳しくはコチラ↓
いずれにせよデビュー戦以降はファイトマネーもさらに上がっていっていると考えられますが、デビュー戦が1000万円だったということを考えると、単純に12戦で1億2,000万円は稼いだことになりますよね!
また村田諒太さんには、マイナビ、ANA、すき家などのスポンサーと契約しており、NTTドコモなどのCMにも出演していますので、プロ転向によって生活や収入状況は一変したことと思われますね。
まとめ
いかがでしたか?
村田諒太さんの経歴や家族、ボクシングでの収入などを詳しく調べてみました。
しかし、世界戦での判定は・・・どうなんでしょうね~
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