うつ病に向き合えてないから、休職に至るまでを振り返ってみようと思う。

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うつ

2016年4月4日にうつ病と診断され、目下休職中の妻帯アラサー銀行員の鬱リーマンです。鬱リーマンブラザーズを募集しています。いやいろいろ意見交換とかしてみたいなあと思ってね。

それはそうと、休職して早3か月が過ぎました。体調はだいぶ回復してきたのですが、睡眠サイクルが不規則になってしまったり、時折頭痛や肩こり、体の倦怠感に悩まされています。

そしてなんというか、うつ病であることが信じられず、処方された薬を飲めていません。なぜか飲むと病気を認めるような気がして(いるのかなあ?わからん)。

私がすべきことはまず病気と向き合うことなのではないか、そう感じましたので、まずは順を追ってうつ病に至る直前の状況や、休職して3か月の状況を、できるだけ細かく振り返ってみることにします。

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うつ病で休職する直前のことを思い出してみる

鬱雰囲気

実際に休職する直前は仕事以外のことを全くやる気にならなくて、とにかく家と支店を往復しているだけの日々。土日も所属している社会人サッカーチームの練習にもなかなか行けなくなり、とにかく寝ていました。気力がどんどん無くなっていく、そんな自覚も芽生えました。

それでもとにかく多い仕事量をこなさないといけない。土日でも次の週の仕事のスケジュールや進め方を考えていたし、本当はダメなんだけど、ここだけの話、仕事の持ち帰りもしていました。融資案件の期日が差し迫っている会社の資料を持ち帰り、稟議に添付する資料のひな型を作成したり、案件の意見を書いたり・・・いまこのブログを書いているPCのデスクトップに、その資料が保存されているフォルダがあります。そうだ、削除しようw

とにかく僕の能力を上回るような案件量、事務量をこなさないといけない状況で、さらには融資先の経営者に投資信託をお願いセールスをしたり、新規融資先の開拓でローリングしまくったり、とにかく金を借りてくれそうなところに片っ端からお願いしたり、むちゃくちゃな案件を通すため本部と戦ったりして、とにかくごりごり仕事をしていました。

毎日、何かに追われながらそれこそスーパーサイヤ人のように仕事をしていたと思いますし、余裕がなかったので人への接し方もひどく、特に後輩に対しては最悪な先輩だったと思います。

飲酒量の増加、体調の異変、胃痛、吐血、そして休職へ

枯れた草

仕事柄飲み会も非常に多く、お酒は好きだったんですが、平日、飲み会がないときでも毎日酒を飲むようになり、体調もすぐれない日が多くなっていきました。

ある日、売り込み案件を支店長同行のもとで、融資先の社長にお願いをしにいくときに、営業車の中で胃が壊れそうなくらい痛みました。汗だらだらでプレゼンしましたが、何を話したのか、社長の反応はどうだったのか、ほとんど覚えていません。

結局、その案件は支店長の力で何とか社長の承諾をいただきましたが、それは僕にとってどうでもいいことでした。その後さらに事務地獄が待っていることを考えると、むしろ逃げ出したくなるような気持ちでした。

その後も強烈な吐き気と胃痛がありましたが、翌日も無理矢理出勤して事務をこなしていました。3月も終わりのころでもう新しい案件は間に合わない、つまり今期の実績にはならないから、後はたまった事務をひたすらこなし、本部と戦うという状況になったわけです。

とにかくなんとか形だけ事務を整備し、すべての融資案件を実行しました。

そして2016年4月1日(金)、期が変わり引き続き事務をする予定でしたが、何も手が付かず、外出する用事が出来たと嘘をつき、一日中コンビニの前に止めた社用車の中で過ごし、土日を挟み2016年4月4日(月)、とうとう出勤できず、妻の付き添いで心療内科を受診し、うつ病と診断されました。

休職するのは意外と簡単だった

牛人間だらーん

うつ病と医師に言われ、診断書を渡された後は、なんというか力が抜け、その後の会社への連絡も事務的に行うことができました。ひとまず「病気を理由に業務から逃げることができる」という安堵がどこかにあったのかもしれません。

その後は母に連絡をしたり、嫁のご両親にも連絡しましたが、どちらの親も大きく反応することはなく「ゆっくり休みな」と言葉をかけてくれました。当初は「こんなに軽い反応なのかよw」と思いましたが、いま振り返ると、できるだけ安心して休ませてあげたいという、思いやりがあったからこその言葉と態度だったのだと思います。

とにかく仕事から逃げられるという安堵が強かったのか、4月の終わりころまでの記憶はほとんどありません。

その後はなんとか自分の人生を変えたくて、自分の力でお金を稼ぐ方法を考えたり、試してみたり。それでもなかなか本格的に取り組めずに、とにかく体調がすぐれない日にはベッドと一体化するくらい寝てみたり、某動画見放題サイトで映画をみたり、かなり自由に過ごしていました。

誰とも話したくない、自由に過ごしすぎて嫁が泣いた

嫁泣く

とにかく自分のことだけ考えたくて、というか考えられなくなっていくのがわかりました。嫁と二人暮らしですが、嫁の話にまともに耳を貸さなくなり、返事も上の空、睡眠サイクルが不規則になり、薬も飲まず生活していたので、嫁が大泣きしてしまいました。

実はこの時期に一番集中してお金を稼ぐ方法を考えたり、手を動かしたりしていました。そういうこともあって嫁も僕への不信感を募らせていただろうし、なにより今後の生活に不安を感じ始めていただろうから、辛い思いをさせてしまったなと今になって思います。

とにかく最低な人間になりそうだったので、すべての作業をやめ、6月はほとんど自宅でダラダラ過ごしていました。あと嫁といろんな話をしました。あんがい嫁はあっけらかんとしていてとにかく焦りはないような感じだった。(そういうふうにふるまってくれていたのかもしれない)

まとめ、そして7月

また「何かしなきゃ」状態が復活。ただ絶対に嫁は泣かさないようにする。

それに自分の病気のことも全然よく分かっていない。そのあたりを今後は勉強しつつ、もっとこのうつ病という病気を理解し、うつ病になった自分に向き合っていきたいと思う。このブログでもちょいちょい書いていくつもり。

とにかくこうやって文章にしてみると、当時は本当につらかったけど(今も結構つらい)、今こうして自分の書いた文章を読み直してみると、どこか人ごとのようにも思えるから不思議だ。これは客観視なのか、それとも文章力が壊滅的なだけなのか。

うつは創造的破壊、まずは薬を飲む。

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